ライターの中馬さりの(@chuuuuuman)です。
今回お伝えしたいのは、沖縄県にある米軍基地のお話です。
べいぐんきち……、そう聞いて思いだすのは戦争、原爆といった歴史の数々。
ですが、仕事と恋愛が脳の大半をしめる自分(20代・女性)にとって戦争は良くも悪くも過去の話。
「沖縄の米軍基地? モメてるみたいね……(無知)」というレベルでした。
だけれども、今回!
実際に沖縄県に行き取材をしてみたら、教科書やニュースだけでは感じられなかった発見がたくさんありました。
50年もつづく沖縄県の米軍基地問題。
沖縄に行く予定がなくてもいい。特に知識がなくてもいい。
今までで何かひとつでも「諦めたこと」がある人は、ぜひ読んでほしいです。
目次
なにが問題なの?沖縄県庁で基地対策課の方にお話を聞く
ということで、やってきたのは「沖縄県庁」です!
米軍基地に関する取材を依頼したところ、沖縄県 基地対策課の方がこころよ~く受けてくれました。
沖縄県 基地対策課では在沖米軍等への要請活動とか資料の管理をしているそうです。ぴったりすぎる~~~!
沖縄県の米軍基地ってなにがどう問題なの?
基本的なことからお願いします! 沖縄県の米軍基地って、どんな問題があるんですか?
騒音や事故、周辺環境のあれこれなど……問題はいろいろですね。
そもそも、面積だけで考えると沖縄県は約8%が米軍基地なんです。
ピンク色の部分が基地……確かに思ってたより広いな。
米軍基地は沖縄だけでなく、東京や神奈川、青森県にもあります。
でも、日本にある米軍基地の7割は沖縄にあります。
これは戦争の終わりから今までの50年間、沖縄の米軍基地が本土のものより返還されなかったのが理由のひとつです。
とはいえ、沖縄県が反米・反基地というイメージをもたれがちなのには困っています。
おおう……
恥ずかしながら、「沖縄県って基地が嫌なのかな?」「よくわかんないけどモメてる……!」みたいな印象がありました。
気持ちに関しては国民ひとりひとりに思うところがあるでしょうね。
でも、沖縄県も日米安全保障条約は理解しているし、平和に貢献してきたという意識もあります。
翁長(おなが)知事が発言していたのは「普天間(ふてんま)飛行場を返還する代わりとして、沖縄県の辺野古(へのこ)に基地をつくるのは辞めてほしい」ということ。
他の施設をどうにかしてほしいだとか、沖縄県にある全ての基地をなくしてほしいとは言っていないんです。
ただ、どうにも本土では反米・反基地と伝わってしまっている部分があります。
日本一危険な飛行場 普天間(ふてんま)の移設問題
その移設しようと話題にでている普天間飛行場、少し調べただけでも「日本一危険な飛行場」ってウワサがでてきました。
どうしてなのか、見に行ってみたら納得。
基地のすぐちかく、道路を挟んだところには普通のお店が並んでいて。
飛行場って周りになにもないイメージだったから驚きました。
まわりが住宅街ということに関して
「米軍基地を立てた後、まわりに住み始めたのでは?」
と考える方たちもいますが、ちょっと違います。
もともと基地ができる前から普天間には多くの集落があって人が住んでいたんです。
もちろん総人口が少なかったので今ほどの状況ではないけれど、学校や病院、役場なんかもある場所でした。
そういうもともと住んでいた人達が戦争後に戻ってきたものの、基地になっていて入れなかった。
やむをえず、そのまわりに住み始めた結果が今なんです。
米軍の人達もここに着陸するの怖そう。
軍用機って騒音もでますよね?
普天間飛行場の周辺は、とくに騒音に悩まされていますね。
日米両政府では「運用上、必要でないかぎり夜間と早朝は飛ばさない」と決めていますが、昼夜問わず飛んでいる現状があります。
また、昭和34年(1959年)には、うるま市の宮森小学校に戦闘機が落ち死亡者や重軽傷者が。
直近だと平成16年に飛行場近くの沖縄国際大学にヘリコプターが墜落。休みの日だったので負傷者はでなかったけれど、大学の壁を削るくらいの事故でした。
事故が起きても何が起きたか教えてもらえない状況
米軍の方達はボランティア活動や地元の人達との交流もしてくれています。基地の周りにはアメリカの方向けのお店もあります。
ただ、基地関連の収入はだんだん減少していて今では5%ほど。
5%の考え方もいろいろあるけれど、「米軍基地がなければ沖縄がなりたたない」とはいいきれません。
さらに、アメリカに返還したあとに公共施設や商業施設が作られ、以前より経済効果をだしている土地もあります。
軍人さん向けのゴルフ場だった泡瀬(あわせ)ゴルフ場跡地も、返還後はイオンモール沖縄ライカムというショッピングセンターになりました。
軍の関係者だけが使うゴルフ場よりは、みんなで使えるショッピングセンターの方がいいじゃんって思っちゃうかも……。
今、話題にあがっている普天間飛行場は住宅地の中で、高台にある非常にいい土地です。
どこも商業施設にすればいい話でもないですが、今までの例から開発はうまくいくのではと考えられていますね。
また、不時着や窓の落下、事故などが頻発すれば、米軍の機体の整備や安全管理について疑問が残ります。
だから、沖縄県としては「全機種の点検をしてから飛ばしてください」と言っているけれど、それに関して報告などはなく不時着などを繰り返している状態です。
たとえば軍の中で油がもれただとか、なにか事件や事故が基地の中で起きても許可がないと入れてすらもらえない。
軍の都合もあるかもしれないけれど、何があったのか知ることができない状況は不安がつのりますよね。
確かに、何が起きているかわからない不安ってすごく大きいですね。
こういった日本とアメリカの関係性は日米地位協定でさだめられています。
でも、この日米地位協定は約50年も改定されていないんです。
日本から申し入れもしたことがなく、「改定ではなく補足」という対応。
沖縄県は基地の数、事故の数だけでなく、米軍の方たちの人数も多い。
だからこそ、いい意味でも悪い意味でも関係は密接でいろんな関わりがうまれます。
すこしでも暮らしの負担が減る変化があればと思いますね。
- 沖縄県に対する反米・反基地のイメージは困っている
- 騒音や事故など基地問題の種類はいろいろ
- 事故が起きても何が起きたかさえ教えてもらえていない現状
- 約50年、日米地位協定は改定されていない
沖縄県で生きる人達の本音は?依田啓示さんにお話を聞く
続いて、沖縄本島の北東部で塩パインの栽培をされている依田啓示(よだけいじ)さんにお話を伺いました。
実際に沖縄に住んでいる人達の話が聞きたい~~~!!!
沖縄県のイメージはゆがんで伝わっている?
基地はものすごく多面的に見るべき問題ですね。
賛成か反対かという意見が前に出過ぎているから、今そこを歩いている県民を捕まえて聞いても「どうして答えなくちゃいけないの」と思う方がほとんどだと思います。
田舎のコミュニティは良くも悪くもとても狭い。表明した立場がのちのち自分を追いかけてきますから。
狭いコミュニティで言ったことって後をひきますもんね。地元とか、職場とか……。
だから、1割の元気な人が「俺たちみんな反対だよな!」と言ったら、その場が反対の空気になってしまうこともある。
そういう大げさな話が前にでたために、今ものすごく沖縄のイメージがゆがめられているのは事実です。
例えば、兄弟や家族がアメリカの軍属と結婚しているという人も山ほどいます。
その子どもだってたくさんいるし、自分の息子が警察官や自衛隊員だっていう人もいる。
広大な米軍基地の中で勤めている人達は5万人もいるんです。沖縄県民、全員が反対しているわけがないですよね。
どうしてこんなに「モメてる」ってイメージが強かったんでしょう?
97%くらいのシェアがある沖縄二大紙「沖縄タイムス」と「琉球新報」に反米・反日の表現が多いというのはあります。
まるで沖縄全体が反対だと思っているかのように感じてしまう部分はありますね。
県内での新聞はコミュニティ掲示板としてとても重要な役割をはたしています。
お悔やみ欄や誰が何か受賞しただとか、やっぱり皆お互いのことを知りたい、読みたいと思う情報がたくさんのっているんです。
でも、政治に関しては沖縄県民の複雑な感情を表現しきれていない部分があります。
辺野古(へのこ)への基地移設はただの増設?
基地の場所に関してはどんな風に思いますか?
辺野古(へのこ)へ普天間飛行場を移設させるという話がでていて、でも海が汚れるからと反対されているイメージがあったんですが……。
辺野古の住民の8割は賛成だと思います。
環境を心配している人達もいますが、基地が移設されればそこで仕事が生まれます。
現実的に考えたときに、働いて食べていく必要が必ずあります。
米軍基地で働くのは外よりも2割、3割給料がいい。ボーナスも1年で2回つくし、ほぼ終身雇用。そんな安定した職業はなかなかありません。
そうか~~~。
東京だと定年まで働くなんて無理でしょって思うけど、沖縄が好きで、沖縄でずっと働きたい人もいるもんなあ……。
だけどね。
例えば今、普天間に住んでいて車で20分も走れば出勤できる生活だとします。
それなのに辺野古に移転の話がでたら、そりゃあ反対しますよね。
もし10年後に移設すると決定したら、いま新卒で入った23才は33才で転勤、もしくは職を失うことになります。
33才……結婚して、もしかしたら子どもだっているかもしれない。みんな不安になります。
それに、何にもないところに新しく基地を作りだすのではないんですよ。
あくまでも50年以上の歴史がある基地に滑走路を設置しよう(増設)という話。
とんでもない規模縮小ですし、新基地をつくるというより増設なんです。
こういった細かい部分を一切知らせないメディアが「賛成派」だとか「反対派」だとか人にレッテルを貼るべきではないと思うんですよね。
補助金ひとつでも「基地から数キロメートル以内の人は騒音被害があるから補助します」と言ったときに、わずか数メートルはなれただけで該当しない人もいる。
たった5mしか家の位置が違わないのに、約300万円の差がうまれることもある。
こういう細かい差の積み重ねで、人はアンチになったり推進派になったりする。
反対派の人もいれば推進派の人もちゃんといる。基地反対派の活動場所だけじゃなく、沖縄全体に県民はいる。
賛成派の話も反対派の話も平等にする必要がありますよね。
賛成にも賛成の理由、反対にも反対の理由があるってことか。しかも、この件は問題が問題だけに変わりやすいものだと。
僕は賛成派ではないんです。しぶしぶ容認派、自分の国は自衛隊で守った方がいいと考えています。
安全保障の枠内とはいえ、米軍がほとんど沖縄の制空権を握って情報を開示しないでいる状況はおかしいと思います。
でも、ただなくなればいいって話でもありませんし、今すぐ出て行ってほしいっていうことでもないですよね。
- メディアが報道する沖縄県のイメージがすべて正しい訳じゃない
- 「移設」と表現されていても事実上の「増設」であることも
- 普段の暮らしによって賛成にも反対にもなりえる問題
アメリカ国籍の同級生もいた「沖縄生まれの20代」に話を聞く
東京に戻ってから、沖縄県出身の若き映画監督 仲村颯悟(なかむらりゅうご)さんにもお話を聞きに行きました。
仲村颯悟さんは1996年に生まれ、大学進学をきっかけに関東に出るまで沖縄県で過ごしていたそう。
2016年には沖縄の基地移設をひとつのテーマにした映画「人魚に会える日。」を発表しました。
米軍基地に賛否両論があっても、事故や被害に賛成する人はいない
同じ20代ということもあって親近感がすごいんですけど……米軍基地に関してはどんな風に考えているのか教えてください!
基地の存在や移設に関しては、色々な背景があって「賛成」と「反対」どちらの意見もあると思います。
でも、事件や事故に関しては賛成っていう人は絶対にいないはずなんです。
確かに……!事故と基地問題って、繋げて考えがちだけど盲点かも。
同じ学校にハーフの子がいるとか、よく行くお店の優しい店員さんがアメリカ国籍なんて、わたしたちの世代だと普通なんじゃ……って思ってたんですよね。
米軍基地のすてきな面も知っているというか。
そうなんです! 僕らにとって、クラスの中にハーフの子がいるとか両親が米軍基地内で勤めていたりするのは日常。
米軍そのものが悪だとも思っていません。ひとりひとり優しい人もいるし、助けてくれる人もいる。
だから、基地がなくなれば全部OKって考え方は僕らの世代からはあまり生まれない。
100%の反対にはならない世代ですよね。
同時に、戦争を体験したおじいちゃんおばあちゃんの生の声を聴ける最後の世代です。
だから辛い経験をしてきた人達や、デモをしている人達の気持ちもわかる。
ただ、基地や米軍のすべてを否定してしまうと「友達はどうなるの?」ってなる世代でもあるんです。
戦争を体験した生の声が聞ける最後の世代
20代で、日本の他の場所に移設したいと思っている人はほとんどいません。
移設された土地の人がどんな思いをするか身をもってわかっていますから。
そうなんですね。「基地反対」って掲げているのを見ると、他県に動かしてほしいのかなってイメージが膨らんでいました。
逆に、仲村さんの理想はどんなものですか?
理想は沖縄も日本も元気で仲良くあることだなあと僕は思います。武器などに頼らず平和に暮らせていけたらいいですよね。
でも、現状それができるかというとそうではない。アメリカ以外の他国からの影響も考えられます。
それに沖縄だけが「賛成」「反対」と言ったところでどうにかなる問題でもない。まして、国内で対立しても何も変わらないですよね。
沖縄vs日本、沖縄vs米国で話をし続けてもって感じですね。
ふーーーむ、こんなセンシティブな問題なのに快く取材に応じてくれたな沖縄の人たち……。
沖縄の人たちも、この状況を皆に知ってほしいんだと思います。
県外に出て、沖縄の現状がまったく知らされていないことに驚きました。
沖縄では新聞もニュースも、基地問題のことしかやってない。
空を見上げればヘリが飛んでいるし、知ろうとしなくても知ることができる環境だったんです。
でも、関東では調べてようやく正しい情報に出会えるかどうか。だから映画をつくりました。
公式HP:https://www.ningyoniaeruhi.com/
仲村さんが監督をした映画「人魚に会える日。」は沖縄県の高校生が主人公ですよね。
はい。この映画を公開したあと、沖縄県のおじさん、おばさん達に「高校生のころ同じように悩んでた」って言われました。
基地ができてから50年。沖縄県の人達も、もう自分達だけじゃどうにもならない問題ってわかっているんですよね。
だけど、みんな(日本全体)で考えることができれば、アイディアだっていろんなものが出てくる。それを求めてるんだと思いますね。
- 軍に関してはいろいろあっても、事件や事故に対して賛成する人はいないはず
- 若い沖縄県民にとって基地はなくなればOKってものじゃない
- そんな微妙な現状を県外で正しく知る方法は少ない
- 今、若い層がかかえるモヤモヤを40代、50代も感じてきた
「50年間おなじ問題で悩み続けている」って70代でいうのは嫌だなあ
いやはや……沖縄県の米軍基地問題、深すぎませんか……?
いろんな方にお話を聞く中で、共通していたのは以下のポイントです。
- 沖縄県民にも「賛成」の人もいれば「反対」の人もいる
- 今どんな状況にあるのか正しい情報が欲しい
- 日本の他の場所に移設したいと思っている人はほとんどいない(どれだけ大変な思いをするか知っているから)
- 沖縄県の問題じゃなく日本全体で一緒に考えてほしい
……とはいえ結局どうするべきなのか。わたしはまだ答えがだせていません。
ただ、70才になって「50年間おなじ問題で悩み続けている」って悲しくなるのは嫌。
だからこそ諦めず根気よく調べ、伝えていく必要があるんだと思いました。
諦めることは必ずしも悪いことではありません。
でも、解決されなかった問題は何年たってもそのまま残ってしまうかもしれない。
50年以上続くこの状況を見て、あなたはどんなふうに感じましたか? ぜひ教えてください。