少年心をくすぐられる刀を片手に失礼します。ダイソン後藤です。
突然ですが、歴史上もっとも有名な事件と言われれば皆さんは何を思い浮かべますか?もちろん人によって様々だとは思いますが、「本能寺の変」を思い浮かべた方も多いのではないでしょうか。
天下統一を目前に控えた織田信長が、家臣である明智光秀によって京都の本能寺で夢半ばで討たれてしまう「本能寺の変」は、あまりにも有名な事件です。まだまだ謎も多く、「怨恨説」や「野望説」、はたまた「黒幕説」など、今なお研究者や歴史好きの人たちの間で議論が巻き起こっています。
そして、明智光秀と言えば、2020年の1月から放送が始まった大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公でもあります。
京都府亀岡氏は明智光秀ゆかりの地
ところが、そんな大河ドラマ『麒麟がくる』は新型コロナウイルスの感染拡大による影響を受け、現在は放送中止中です。
ツイッターでは「#麒麟を待つ」というハッシュタグが広がるほど再開が望まれている『麒麟がくる』ですが、6月30日からの収録再開が発表されたものの、具体的な放送再開についてはアナウンスされておらず……。
はやく本能寺の変が見たい!!
というわけで、今回は実際に明智光秀が出発したといわれている亀山城から、本能寺まで歩きます!
実際に光秀が歩いた道を歩きながら、遠い過去の時代に思いを馳せてみようと思います。
それからもう一つ、今回は別の検証もしてみたいと思います。
それがこちら!
実は明智光秀は、城を出発する際に、部下には本能寺の変について伝えていません。
部下の中に織田信長に密告するものがいたら計画は台無しになってしまうので、最初は信長の命令通り、備前高松城(現在の岡山県)まで豊臣秀吉の援軍に行くフリをして、城を出発するのです。
そして本能寺が近づいたとき、桂川を超えたあたりで「敵は本能寺にあり!」と部下に本当の目的を告げたそうです。
突然そんなことを告げられた光秀の部下たちはどんな思いだったのでしょうか。今回は、本能寺の変を起こした明智光秀だけでなく、その部下にも思いを馳せていこうと思います!
目次
企画検証
というわけで、今回も何も知らない後輩のゆーだいを「3日間予定空けておいて!3日分の下着と、できたら着替え、あと歩きやすい格好で来てね!」とだけ伝えて呼び出しました。
岡山までは189㎞、徒歩だと39時間かかる。
というわけで、ゆーだいはあっさりと偽企画を受け入れてくれました。青森に放り出されてもほぼ無一文で東日本縦断をしただけはあります。
さぁ、何も知らないゆーだいが企画に参加してくれることも決まったので、早速検証を始めたいと思います。
岡山まで歩かされると思っているゆーだいは、途中で目的地が本能寺だと聞かされてどう思うのでしょうか。
ちなみに亀山城から本能寺までは19.1㎞、徒歩で4時間4分です。
15:00 亀山城跡
いざ出発!!
15:10 小休止
意気揚々と歩き始めましたが、ここで一つ気になることが……。
腹が減っては戦はできぬ
亀山城跡から少し西に進んだところに「ダイコクバーガー」があったので、まずは腹ごしらえをすることにしました。
ここは何度かいったことがあって、本当に美味しいのでオススメです!
買い出しはもちろん足軽の仕事
グランプリバーガー(840円)
腹ごしらえが済んだところで、改めてスタートします。
15:25 国道9号線
独特な名前の「クニッテル商店街」を抜けると、国道9号線に出ます。9号線は亀岡から京都市内まで続いていて、今回のルートはほぼ9号線を西に進んでいくだけ。
余談ですが、亀岡には少し変わった商店街の名前をつける文化があるのか、「H商店街」なんてところもあります。(もちろん普通の商店街)
ここからひたすら9号線を歩いて行くだけなので、事件らしい事件はおきません。
あまりにも写真を撮る機会がなかったので、9号線で見つけたカッコいい地名を紹介していこうと思います。
篠町浄法寺(しのちょうじょうほうじ)
合戦野(かっせんの)
頼政塚(よりまさづか)
王子(おうじ)
亀岡市にはカッコいい地名が多いような気がします。気になって調べてみたらこの他にも「千歳町毘沙門市殿垣内(ちとせちょうびしゃもんいちどのがいち)」や「西別院町神地向ノ前(にしべついんちょうこうじむかいのまえ)」、「曽我部町法貴万寿(そがべちょうほうきまんじゅ)」など、カッコいい地名が他にも見つかりました。
亀岡市の地名カッコいい説、あるかもしれない。
16:30 ついに本〇寺へ!
9号線をまっすぐ歩くこと30分、さっそく本〇寺を発見!?
本感寺
16:45 山道へ
本感寺を超えると、少しずつ上り坂が急になりはじめます。もともと緩やかな上り坂ではあったのですが、亀岡市から京都市に出るためには、老ノ坂峠という峠を越えなければなりません。これから峠越えです。
歩道も少しずつ狭くなります。
水分補給をしながら
歩く
ジブリに出てきそうなバス停で休んで
歩く
歩く
亀山城から本能寺までのこのルートは、実際に歩いてみて皆さんにもおすすめできるものであれば、モデルルートのような形で紹介しようかとも思ったのですが、この道を歩くのはおすすめはできません。
単純に上り坂がきついというのもそうなのですが、歩道がほとんどないんです。一応白線が引いてあるので路側帯の内側を歩いていたのですが、もう車が至近距離をビュンビュン飛ばしていくんですよね。カーブで前の車を無理やり追い越そうとするバイクとかがあったら、気付かれずに撥ねられていたと思います。
17:15 老ノ坂トンネル
その後も狭い白線内を恐る恐る進んでいくと、ようやく歩行者・自転車と車・バイクを分ける道に出ました。
「歩行者専用」という言葉の安心感がすごかった
一見すると通行止めのようですが、あくまで車の侵入を防いでいるものなので、歩行者や自転車を利用している人は横の隙間から抜けていけます。
現れたのは、「老ノ坂(おいのさか)トンネル」、こちらは歩行者・自転車専用のトンネルで、車やバイクが通る老ノ坂トンネルが右側にあります。
中はひんやりしていて、声が信じられないくらい反響します。かなり不気味な雰囲気だったので、明るい時間に通ることができてよかったです。
17:25 京都市突入
老ノ坂トンネルを抜けるとゆるやかな下り坂になっていきました。すでに2時間以上ぶっ続けで歩いていて、少しずつ疲労が溜まり始めていたので下り坂は嬉しい!
そしてゆるやかな下り坂をしばらく降りていくと……
京都市に入った!!
京都市に入ったから市街地になるかと言うとそうではなくて、ここからはひたすらグネグネとした山道を進んでいきます。これまで以上に景色が変わり映えしない上に、歩道がほとんどないので、体力的にも精神的にもかなり削られていきます。
この道はほんとに長く感じました。
こわい。
ながい。
あとから見直してみると、山道を歩いていたのは1時間20分ほどだったのですが、体感的には3時間くらいあったように思います。
18:05 そして市街地へ
延々と続くグネグネの山道と横を通る車の恐怖に体力と精神を消耗しながら歩き続けます。
そうして何時間にも感じる道のりを進むこと1時間20分、ついに信号が姿を見せました。
写真ではわかりにくいですが、奥に小さく信号が見える
安心して歩ける歩道に感謝しながら歩いていると、烏丸五条まで11㎞という案内があらわれました。本能寺跡は烏丸五条からも近いので、目安になります。
18:40 小休止②
19:30 日暮れ
思い返してみると昼ご飯もハンバーガーだったので、2食連続でハンバーグを食べていたのですが、その事実に誰も気づかないまま店を出ると、すっかり日が暮れていました。
すでに3時間以上歩き続けていたため、足には疲労が溜まっていたらしく、店を出ると痛みを感じ始めました。歩いている最中にはあまり気にならなかったのですが……。
休憩してしまうとドッと疲れがおしよせてくることってありますよね。
さて、ここからは本能寺までのルートをナビで調べてみると、まだ2時間ほどかかるようなので、再び気合を入れなおします。
完全に夜になった
検証結果
20:45 敵は本能寺にあり
夕食後、疲れた体に鞭打って歩き続けること約1時間。ついにあのセリフを言う時がやってきました。
看板には「桂川」の文字
光秀は桂川を渡ったあたりで、例のセリフを言ったそうなので、ここを渡るとついにゆーだいにネタ晴らしをすることになります。岡山に比べたら京都市なんてすぐだろう、と甘い考えを持っていたのですが、すでにかなり疲れてしまいました。
まだまだゴールは先だと思っているゆーだいが「無」の表情をしているのに対して、すでにゴールが近づいていることを知っている僕はどこか張り切っているように見える。
この橋は車で渡ったことはあっても、歩くのは初めて。橋自体がすごく長くて桂川ってこんなに広いんだと感じました。こういう感覚は実際に歩いてみないとなかなかわかりません。
ようやく橋を渡り終える
よく聞いて欲しい。
「敵は本能寺にあり!!」
3日間歩き続ける覚悟をしていたゆーだいですが、本当の目的地が残り1時間で到着する場所だったことを告げられると、最初は困惑したものの、すぐに喜びと安堵の感情が湧いてきたそうです。
全然面白みを感じない企画で3日間歩き続けるのは本当は嫌だったという当たり前の感想をぶつけられ、少し申し訳ない気持ちになりました。
光秀の部下たちも、不満などは間違っても口にできなかったでしょうが、重い鎧を着こんで何日も歩き続けるというのは、本心では嫌だったかもしれません。そう考えると、目的地がすぐ近くだと告げられた時にはモチベーションも上がったのではないでしょうか。本能寺の変が成功した裏側にはこうした部下たちの心理も影響していたのかもしれませんね。
というわけで、検証結果です。
最後まで歩いてみた
というわけで、ゆーだいへの検証は一旦終了しましたが、せっかくここまできたので最後まで歩こうと思います。
20:50 本能寺へ
ここまでくれば本能寺までは残り1時間ほどです。同じ目的地を目指すことによって自ずとペースも上がってきます。
阪急沿線を西へ
Googleマップで調べると4時間4分ということでしたが、それはあくまで同じペースで歩き続けたときの時間です。撮影をしながら進んだり、休憩をしたり、疲労で歩くペースも落ちているため、すでにスタートから6時間以上経過していました。
同じ距離を歩いていますが、思ったより早くつくことになったゆーだいと、思ったより時間がかかっている僕とで疲労度に差が出ています。
阪急の西院駅を超え、いよいよ京都市の中心地へ!
22:15 本能寺到着!!
四条堀川の交差点を北に上がると、京都の名門進学校である「堀川高校」が見えてきました。
ここまでくると本能寺は本当に目と鼻の先!
自然と足取りも軽くなります。
路地に入り
少し進んで
そして
ついに
本能寺跡に到着!!
出発してから約7時間15分、歩数にして約37,000歩。ついに本能寺に到着しました!
走歩行距離は約23㎞、岡山まで歩くことを考えるとその距離は9分の1程度ですが、すでにへとへとで、これから戦いに行く体力はすでに残っていません。
明智光秀とその部下たちのすごさを感じる結果になりました。
ゆーだいが前日に飲み歩いていたせいで数値が水増しされていますが、この企画での歩数は約37,000歩、距離は23㎞ほどです。わかりにくくてすみません。
まとめ
今回は明智光秀が本能寺の変を起こした際のルートを歩いてみましたが、実際のところ、これをしたからといって当時のことがわかるわけではありません。
しかし、自分たちが歩いているこの道がまだなんの舗装もされていない頃に、歴史上の人物や、歴史には名を残していない昔の人々も通ったのかと思うと、やはり歴史情緒やロマンを感じました。
僕たちはすっかりくたびれてしまいましたが、亀岡の亀山城から京都市内の本能寺までは絶妙な距離です。史実のように真夜中に出発すれば明け方に到着することができます。
光秀はそんな距離に配備されて、信長の警備も手薄という、まさに千載一遇とも言える機会に打ち震えていたのだろうか。部下たちの多くは方角も良くわからないままとりあえずついて行ったんじゃないだろうか。「敵は本能寺にあり」と告げられたときは興奮したんだろうか、それとも安堵したのだろうか。
そんなことを考える機会はなかなかありません。
今回のルートは路側帯があまりにも狭かったのでオススメはできませんが、京都には他にもたくさんの歴史ロマンあふれる場所がいくつもあるはずです。
次はどこを歩いてみよう。
(おわり)