今回考察するのは、「ターミナル」という映画です。
設定が割と奇妙で、ジョン・F・ケネディ国際空港を舞台に、半年以上もの間空港から出られなくなってしまった男を主人公として描かれています。
ちなみに監督がスティーブン・スピルバーグ監督で、主演がトム・ハンクスという、まさに勝ちにいった映画ですね。
10年以上前の、2004年に公開された作品ですが、ご存知の方はどれくらいおられるでしょうか。
映画「ターミナル」のあらすじ
「クラコジア共和国」という架空の国からアメリカ、ジョン・F・ケネディ国際空港へ降り立ったビクター・ナボルスキー。
しかし、彼はアメリカ合衆国に入国することができなかった。
ビクターが空港に降り立ったと同時に、ビクターの母国であるクラコジア共和国でクーデターが勃発しクラコジア政府が消滅してしまったのだ。
政府が消滅したことで、ビクターのパスポートは無効となってしまい、ビクターは入国を拒否されてしまう。
そしてパスポートを没収されてしまったビクターに、空港職員が唯一許可したことは空港内でのショッピングだけであった。
ビクターには、どうしてもニューヨークへ行かなければならない理由がある。そのため、ビクターは空港職員に指示された通り空港の国際線乗り継ぎロビーで入国の許可が下りるまで空港生活を送ることに決めたのだった…。
考察:ビクターはなぜ半年以上もの間、空港生活を送ることができたのか
ビクターは亡くなった父親との約束を果たすため、クラコジア共和国からアメリカ合衆国へやってきた。
その約束とは、既に亡くなっている父親が大ファンであったジャズ演奏者のサインを手に入れることである。そして、空港で入国を拒否されても父親との約束を果たすため、ビクターは空港に留まることを決意した。
では、どのようにして無一文に近いビクターが半年以上もの間、空港生活を続けることができたのだろう。
空港の国際線乗り継ぎロビーという特殊な空間と空港のシステム、そしてビクターが築き上げた人間関係にスポットを当てて考察していく。
空港という独特の空間を利用した
ビクターは、国際線乗り継ぎロビーから出ることができない。
しかし空港生活をするためには、寝起きをする場所が必要である。
では、ビクターは一体どこで寝泊まりをしたのか。
空港には数多くの出発ゲートがあり、中には工事中で誰も人が立ち入らないゲートが存在する。ビクターは、その工事中の無人ゲートに目をつけ、仮住まいとして寝泊まりをするようになった。
空港のデポジットシステムを利用した
ビクターは当初、所持品のビスケットにマスタードをかけて食べていた。
しかし、所持品のビスケットには限りがある。
そんな時、乗り継ぎロビーの便利なシステムに気が付く。
空港にある旅行者用カートを元の場所に戻すことでデポジットとしてお金をもらえるのだ。
ビクターはこのデポジットのシステムを利用し、空港内でお金を稼ぐようになる。
そのお金でファストフード食を買うようになったのだ。
空港内のフードサービスで働くエンリケがビクターに機内食を提供するようになった
ビクターは、入国を拒否されることが分かっていながら、毎日のように入国審査官のドロレスにビザの申請をしていた。
その様子を観察していたエンリケが、ある取引を持ちかけたのである。
エンリケは入国審査官のドロレスに恋をしており、ビクターを通じてドロレスに様々な質問をしたいと思っていた。
見返りとして「機内食を提供する」と約束し、ドロレスに質問するよう頼んだのだ。
結果、ビクターは、毎日入国審査の際にドロレスに様々な質問をすることで、エンリケから毎日機内食をもらうことができた。
空港内で仕事をするようになった
入国許可が下りることなく、数カ月が経過した頃、ビクターは空港内の工事現場を発見する。
誰に頼まれるわけでもなく、ビクターは現場にあった工具を使い、内装を完成させてしまったのだ。
そんなビクターの腕を買った内装業者が、ビクターを雇うことに決め、ビクターは空港内で内装業の仕事をするようになる。
内装業の仕事で稼いだお金を使って、空港内のヒューゴボスでスーツを購入。そのスーツを着て、親しくなったキャビンアテンダント、アメリアとのデートも経験した。
まとめ
クラコジア共和国から空港に降り立った直後、お金もなく知り合いもいない状態であったビクター。
しかし、空港生活が長くなるにつれてデポジットのシステムでお金を稼ぎ、空港内で知り合った人間から機内食の提供を受けた。
また、内装の腕を買われて空港内で職を得ることにも成功。
このような経緯からビクターはほとんど無一文の状態から空港生活を半年以上も続けることができたのだ。
映画の終盤には、クラコジアでの内戦は終結し、キャビンアテンダントであるアメリアの援助のおかげでアメリカ合衆国への入国を果たすことができる。
そして、父親との約束を果たすために父親が大ファンだったジャズ演奏者がいるジャズクラブへ向かうことができたのだ。